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  1. 足あと帳(4)
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連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 8月 5日(日)19時55分12秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  5月5日 6時に朝風呂に行くと朝早いのに子供が湯船で大騒ぎをしていた、元気を貰いたいもんだ。800円のバイキング昼食を食べにレストランに行く。おそらく三倍は食べたと思う程の品数を食べてしまった(笑)又も貧乏人根性が出てしまう。レストランを出ると茨城の牛久市から来たライダーと東京日野市のライダーがレストランに入ったのを見ていたので待っていたそうだ。又、長い長い話になる。そこに茅ヶ崎の寒川から来たライダーも加わる。昨日は夜中に歩いていましたねと訊ねると徘徊していたとのこと、面白いギャグだが近い将来我々もそうなる可能性があるので余り笑えなかった。この方は19??年生まれのライダーだ。旅が終わってから再び会うことのなるとはこの時点では思わなかった。自民党の元幹事長に似ているライダーが船長の話があるので聞きに行こうと誘われる。川崎から九州までの船長さんで話がためになって面白かったそうで、帰りも同じ船長さんで良かったと言って喜んでいた。全員で話を聞きに行くことにする。歳の頃50歳半ば位の紳士で話の内容は半分は自慢話で残り半分は聞いて損はなかった。操縦自慢で始まりスピードで負けた事はないそうだ。船のシューマッハと呼ばれているそうだ。海上に出てしまえばスピードを上げようが捕まる事はないそうだ。川崎港に下船するときフェリーの出口に船長さんが直立不動で下船するライダーやドライバーに頭を下げ続ける姿を見て頭が下がる思いをした。今までフェリーに数えきれない程乗船したがこういう姿を見たのは初めてだった。感動してしまった!言う事は言う、やる事はやる、素晴らしい船長だ。多くのライダーやドライバーが職場や色々な所で船長の話をすることだろう。そのことでマリンエッキスプレスの会社も潤う事だろう。船長さんの話をメモしている方が多数いたことを付け加えておきます。それと、船長はタイタニックの映画の内容についてプロの目で見て不自然な所が多数あることを詳しく説明するが映画にするにはある程度は歴史と違っても見ている人の共感が得られれば良いのではないかと思う。13時からシアターでデカプリオ主演の映画が始まるので是非見るようにとのこと。昼食を急いで食べてからシアターに行く。BMWのオーナーと一緒に見る。船長の話を聞いた後なので映画の見方が大分違ってしまった。時間も15時を回り伊豆半島を掠めてやがて浦賀水道に入る。フェリーで東京湾に入るのが初めてなので嬉しくなる。観音崎を眺めながら猿島を通過。直ぐそばを大型タンカーが波を被りながら擦れ違う。遠い外国に行くのかな~八景島が見えてきた、私が子供の頃、日吉刈りに良く行ったところだ。その家族5人も今は私一人になってしまった。50年前の話だ。横浜のベーブリジが見えた、いよいよ旅も終わりに近づいた。沢山のお仲間とも又お会いすることはないだろう。雨が今にも降りだしそうな川崎港に19時15分接岸する。下船して降り出しそうな空を眺めながら自宅に急ぐ。外気温は14度、寒い事。寒風の中を浮島ICから首都高に入る。北海道の場合いはどんなに近くってもフェリーは大洗までなので時間がかかるが今日は楽だ。カッパを着ない選択をしたが凶にでるか吉に出るか心配しながら走り大黒PAを停まらずに横横道路に入る。あっと言う間に朝比奈料金所に滑り込む。鎌倉霊園の前で太陽の国、九州から無事帰ってきましたと母、兄、父に報告しながら通過する。18時15分、我が家に着く。川崎から41キロ。何時ものように愛車ローライダー(FXLR87年)に有難うと言う。2093キロでした。
後書き 旅を終えてまず一言。自走で行くには遠いな~と思いました。関門海峡を渡った時、身体が震えるほど感動したことを今もはっきりと覚えています。自分の場合いは何処かを見るかではなく、ただその土地の上を走ると言う事がものすごく大事な事だと思っています。
追伸 遠い九州から帰ってきて来年も九州に行くと言う言葉は出てこないが時過ぎれば又身体がうずうずしてくるだろう。阿蘇山、高千穂、山並みハイウエー、霧島などに来年行ってみたいと言う気持ちはある。






 
 

連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 8月 4日(土)19時57分44秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  5月4日 雨の音で目が覚める。窓の外は大粒の雨が降り続いている。朝から気分が優れない。何時ものように朝も風呂に入る。レストランに朝食を食べに行き、一番安価な卵焼き定食を注文する。無論、ライスはおかわりする。部屋に戻り天気予報を見ると今日も雨の予報でガッカリする。10時のチェックアウトぎりぎりにホテルをでる。雨の中フェリー乗り場に向かう。今日は大雨で雷が落ちるらしいので時間が勿体ないが安全策をとることのする。晴れれば高千穂の方に行くつもりだったが残念。風も強くなりフェリーの揺れが心配だ、酔い薬を買うか思案中。10時15分フェリー乗り場に着く。ターミナルで乗船手続きを済ませようとしたが時間が早いので窓口が開いていなかった。売店で時間を潰しても20時20分発のフェリーの時間まで10時間近くあるので困ったもんだ。長椅子に座っているうちに腰まで痛くなってきた。雨も止み空がどんどん明るくなってきた。天気予報が良いほうに外れたようだ、ラッキー。まだ雨が降るかもしれないのでカッパを着て出かけることにする。青島を通て日南海岸まで足を延ばすことにする。11時30分フェリー乗り場を後にする。一ツ葉道路を田吉で下りて宮崎南バイバスに入る。片側二車線の中央分離帯にワシントニアパームの木が何処までも続く。南国ムードが漂う素晴らしい道路だ。宮崎は歴史的重みは感じないが九州の中でもひと際輝いている。ワシントンパームと言う木は初めて聞く名前だ。フェリー乗り場で働く女性に恥ずかしながら聞いてみると舌が回らず何回も聞きなおしてしまう、しまいに可笑しくなって笑だしてしまった。名前を聞いて知らなくっても当然だと思った。青島バイバスを通らずに220号線に曲がる。青島の町に入り読売ジャイアンツの歓迎の大弾幕がホテルの壁に貼られていて町全体がジャイアンツ一色になっている。青島を過ぎて海が見えなくなりだんだん山の中へ入って行く。走り辛いと思ったら峠から一面の海がいきなり目の前に迫ってくる。その海が輝やいて美しかった!左側の海の淵に一軒の讃岐うどん店が見えた、12時30分に昼食にする。九州まで来て、とろろ蕎麦を食べる。直ぐ裏が海岸で、一面鬼の洗濯板。テレビで見た事があるが見事の一言に尽きる。少し休憩してから青い海を眺めながら日南フェニックスロードを快走するFXLR87年とただの親父。いるか岬を通り日南市に入る。イルカの泳ぐのが見えるらしい。日南の駅前でUターンして今来た道に引き返す。アップダウンの岸壁の上をスムーズに走るローライダー(FXLR)雨も止み雲の切れ間から青い空。海も青く輝いている。オートバイのレイダーが赤く点滅、速度を一気に60キロまで減速。やはりスピードの取り締まり中だった。後でツーリングマップルを見ると書いてあった。道路の左側で警備員の方が車を誘導している。小高い丘の上にサボテンハーブ園が見える、約130万本のサボテンが初夏の花咲く頃がもっと美しいそうだ。サボテンアイスにサボテンワイン、サボテンステーキなどサボテン尽くしの所だそうだ。日南フェニックスロードを戻るこの道路は日本有数のシーサイドラインで九州ツーリングのハイライトだと地元の人が言っていた。何処までも続く鬼の洗濯板、なんとも言いようがない素晴らしい景色だ。帰りも青島バイバスを通らずに220号線で子供の国の前を通り県総合公園の前を通過。最初に通った時には気が付かなかったが帰りはジャイアンツのキャンプ地、宮崎球場が見えた。公式戦も出来る球場なので周りの雰囲気、設備など立派なもんだ。宮崎南バイバスに戻り相変わらず道路の中央にそびえ立つワシントニアパームの木のスラリと伸びた美しさは格別だ。南の島に来た気分だ。宮崎市に戻り町の雰囲気が新しく新鮮な気がする。九州の他の都市を周ってきたが何故か宮崎市は太陽の光が似合う町だ。少し褒めすぎかもしれない(笑)宮崎空港に飛行機が下りて行くところが見えた。空を飛んで九州に来る人もいれば私みたいにオートバイで来る人もいる。だから世の中は面白いのかもしれない。16時10分フェリー乗り場に着く、122キロ。受付に行くと午前中にお会いした65歳位のグループの人達と又会う。日南海岸まで足を延ばした事を説明すると良い所を走ってきましたねと言われる。オートバイの所に戻ると30歳半ばの人から話かけられる。この方は茨城県牛久市から225CCの二輪が故障したため50CCのスクーターで九州を周って来たそうだ。たいした根性の持ち主だ。二人で話をしていると、累は友を呼ぶと言う諺があるが周りに沢山の人が集まってくる、不思議だ。映画俳優を思わせるような男前の方が話に加わる。この人は東京の練馬から来たそうだ。四国を周り大分までフェリーで来て、鹿児島からフェリーで屋久島に渡り、往復8時間かけて屋久島で確認されている最大の杉、縄文杉を見てきたそうだ。自民党の古賀元幹事長に似ている40歳半ばの方も話に加わる。教育者を思わせる方も話に加わり、この人はBMWの1987年の二輪で南の大地を旅してきたそうだ。九州の鹿児島の出身で兄弟がいるそうだ。現在は茅ヶ崎市の寒川に住んでいるそうだ。東京日野市から来たライダーも話に加わる。この方も鹿児島の近くが実家でオートバイで里帰りしたそうだ。久しぶりの九州の大雨に遭ったと言っていた。本州では考えられない雨だそうだ。トラックの運転手も話に加わり、10人も集まってしまった。だんだん暗くなってきて時間も18時を回り腹が減ってきた。フェリーの中で食べるには20時を過ぎてしまうしフェリーターミナルの食堂は閉鎖中。人件費が大変なのかそれともお客が入らないのか?雨は降ったり止んだり、カッパも畳んでしまったし、夕飯は食べないわけにもいかず困ったな~と思ったら近くにいたライダーが交差点の近くにカレー専門店があると言われ、カレーの店屋があった事を思い出す。数分で店に着く。雨が止んでいるうちに急いで注文する。カウンターにBMWのトーレル車に乗っているライダーがカツカレーの大盛りを食べている。その大きさには驚いてしまう、30センチ以上ありそうなお皿に御飯が大盛りでカツもビッグで見ただけで食べられそうもないのでライスを少なくしてもらい急いで流し込む。フェリー乗り場に戻ると直ぐに腹が空いてきた(笑)やっぱり大盛りを注文しとけば良かった。大盛りで680円でしかもご飯は好きなだけよそえるようだ。周りのライダーからもう腹が減ったのかと冷やかされる。又、皆で雑談が始まる。皆、気楽に話をしているが会社に戻れば厳しい顏で仕事をしているのだと思う。時計の針も進んでやっとオートバイから先に乗り入れが始まる。後部から乗り入れて奥でUターンして坂を上がり一列に並べる。急いで荷物をまとめて寝台Cに行く。荷物を置き直ぐに風呂に直行。一番かと思ったが既に5人の人が入っていた。湯船にたっぷり浸かっている人もいるし早々と風呂を出る人もいる、なんでも上には上と言うよりも素早い人がいるもんだ。雑談していた仲間の人達はすでに風呂から上がっていた。休憩室で雑談仲間に会い又話が弾む。時間も23時を回り眼を開くのが辛くなり解散する。寝台に戻り横になると頭の中を色々な事が駆け巡る。北海道と違って本州と九州が橋とトンネルで繋がっているのでフェリーが港を出ても寂しい気持ちにならないがもう少し旅をしたい気分だ、お休み。夜中にトイレに行くと茅ヶ崎の寒川から来た方が通路を歩き回っていた。
 

連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 8月 1日(水)19時45分31秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  5月3日 遅く寝たのに早朝に目が覚める。朝風呂に行き風呂に浸かる。朝の風呂は何処で入っても身体がすっきりする。朝食に行くと仲居さんが昨日はすみませんでしたと丁寧な挨拶をされるが腹の虫が治まらなかった。部屋のトイレの流れが悪く、便器の上のほうまで水がいっぱいになり少しずつ減っていく、トイレットペイパー詰まっているみたいだ。酷い部屋に泊めたんだから教える必要がないだろう。支払いの時も真面目にお金を払う気にはなれなかった。ホテルを出て歩いて昨日休みだった徳永屋にさつまあげを買いに行くと送り先の鎌倉が何処にあるか分からない店員さんがいた、歳の頃60歳半ばを過ぎた女の人。北は北海道、南は九州の鹿児島にも鎌倉の場所が分からない人がいるとは驚いた!小学校の歴史で習わなかったのか?帰りのフェリー代金がない事を何故か思い出す。急いで郵便局に行きお金を引き出す。オートバイの所に戻りカッパを着て5月3日の旅が始まる、10時だった。鹿児島市内をぐるり周ってから宮崎に向かう。高速に乗らずに一般道の10号線で宮崎を目指すがどこまで走っても渋滞が酷く、途中で鹿児島吉田線16号に曲がる。この道路も所々渋滞があるが10号線で行くよりましだ。7~8キロ走り、九州自動車道薩摩吉田ICから高速に入る。昨日寄った桜島SAに11時40分に着く。ハレーが首を振って停まっていた。若い時からハレーに乗れるとは羨ましい、25歳位。近くにいた学生風のホンダのライダーは今日、日向からフェリーで川崎まで帰るそうだ。ここで昼飯にしようとレストランに行ったが満員のため食べずに出発、これがいけなかった。えびのJCTを右に曲がり宮崎自動車道に入る。雨が降ったり止んだり、時折雨が激しく降り更に寒さが加わり、車もほとんど走っていない。ローライダー(FXLR)と私だけが雨の中をひた走り続ける。腹が減ってきて困ったがSAが何処まで走ってもない、ない、気持ちまで落ち込むようだ。朝の天気予報では大雨になると言っていたので一刻も早く宮崎に向かう事になってしまった、残念。オートバイで旅をしていて雨の中を走行している時、何故自分はこんな時に走るのか分からなくなってしまう。後で考えるといい思い出だが今はそう思えない。やっと霧島SAに着く、13時30分だった。レストランでトン汁定食(630円)を注文する。このトン汁こそ2000年に北海道で食べたトン汁と甲乙が付けがたい程、超美味しかった!私の隣で食事をしていた若い男の子もオートバイが好きで,今日は家族サービスで皆で観光に来ているそうだ。まだ21歳なのに懐かしいメグロスタミナ500に乗っているそうだ。お父さんが若い頃から二輪が好きでそれを見ていてオートバイが好きになったそうだ。自分も子供の頃、叔父さんがオートバイ好きで、15歳上の叔父さんが陸王に乗り横須賀線と競争したと自慢していた。その後、私より7歳上の叔父さんがトライアンフボンネビルTR7(当時ブルーバードが50万でトラが55万でハレーは90万)を飛ばして鎌倉に来た。よく後ろに乗せてもらった事を思いだす。この若い子供のお父さんも私の知らない幻のメグロを探しているそうだ。人間て不思議なもんで落ち込んでいた気持ちがお腹一杯になると元気が出てくる。オートバイの所に戻るとスズキ刀のオートバイが2台停まっている。目と目が合っても知らん顔をしている、若いライダーなのに親父ライダーに挨拶もできないとは!松下幸之助さんが挨拶ができない人間はどんなに優秀でも駄目だと言っていた。ライダーの中にもそういう人がいるとは寂しい限りだ。SAで今日泊まるホテルの資料を貰い、目ぼしい所にTELする。ロイネットホテルがOKとのこと。温泉ではないがま~いいか。青島に泊まりたかたが連休だと予約なしでは無理だそうだ。14時20分、霧島SAを後にする。30分位で宮崎ICを下りる。市内に入り、南国ムードが漂う。なんとなく垢抜けた感じがする町だ。道路の分離帯に南国のシンボルと言うか30メートルもありそうな樹が並んで植えてある。素晴らしい雰囲気だ。駅前を抜け右に曲がり高架の線路の下をくぐり抜けてロイネットホテルに着く。15時20分、鹿児島から180キロだった。フロントで手続きを済ませて部屋に入る。場違いの場所に泊まったようだ。窓から外を見ると雨が激しく降り続いている。このホテルは全国各地にあって、横浜にもあるそうだ。まだ建てたばかりで部屋の中も高級感にあふれている。夕食は一階のレストランでハンバーク定食を食べる。ライスのおかわりはただなので貧乏人根性が出て二回ももおかわりしてしまう。情けない。ルームバスでゆっくりと寛ぐことにする。温泉に入りたかった。テレビを眺めているうちに眠くなる、お休み。
 

連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 7月29日(日)17時48分57秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  5月2日 5時に目が覚める。窓から外を眺めると雨は止んでいるが、曇り空で今にも雨が落ちてきそうだ、日の出も見られず残念。朝風呂に行き売店でカステラを買う。朝はバイキングなので又余計に食べてしまう。急いで仕度をしてホテルを後にする。左に曲がりフェリー乗り場に向かう。右に曲がればすぐ近くにガソリンスタンドがあったが、戻るのが嫌なので先を急ぐ。少なくなったガソリンを心配しながら走り続ける事30分、今だスタンドは見つからず、戻っても先程のスタンドで給油しとけば良かった。ガス欠になるな~と思った時、右側にガソリンスタンド発見、先客がいて待たされる、何でそんなに時間がかかるのか!フェリーの時間が気になる、イライラが貯まる(お金が貯まるならOKなのに)やっとガソリンを入れ8時45分発のフェリーに急ぐ。路面が濡れているのでカーブは慎重に走る。かなりの距離を走りフェリー出発5分前に着くがオートバイのスペースが空いているのに満車とのこと。臨時便が9時に出るのでチケットを早く買うようにと言われ、売り場に急ぐ。狭いロビーで待つことになる。外は雨が降ったり止んだりしている。9時出発のフェリーが港に入ってくる。フェリーと言っても東京湾フェリーの半分もないような船で心配になる。二輪は私のローライダー一台だけ、何故か寂しくなる。連休といえどもオートバイで旅をする人は少ないようだ。港を出て直ぐに天草諸島が見える、僅か30分で口之津港から鬼池港に着く。九州に行く目的の一つでもある龍冠さんの自宅を訪ねるため本渡市に向かう。10キロ位走り本渡市に着く。町としては立派で大きなホームセンターやオートバックス、大型スーパーなどの建物が並び道路は四車線!私の住んでる所と違うのは人が少ない事。馬場町に入り、酒店で龍冠さんの家を訪ねると、あ~婿さんの家だねと言い、話だとまだ3キロ位先とのこと。そんな遠くでも直ぐに判る。名字が珍しいのか土地柄なのか?龍冠さんの奥さんがこの近くの老人保健施設に勤めているそうだ。お礼を言い走り出す。基盤の目のように分譲された場所に住宅が並ぶ所を探して、遂に龍冠さんのマイホームに着く、10時だった。ドアーホンを鳴らしても応答なし、写真だけでも写そうかと思っても留守なので困ったな~と思っていたら、隣で畑をしていたお爺さんにお願いして撮ってもらうことにする。カメラで写そうとした時、娘さんが車で戻って来た。おじいさんが気持ちが通じたのかなと言いながら帰って行った。お父さんの知り合いの者で鎌倉から来た事を説明すると、え~と言って目を丸くしていた。可愛いい娘さんでこの子が本当に龍冠さんの子供とは驚いた!車の中には赤ん坊が乗っている。生まれた赤ちゃんを龍冠さんはまだ見ていないそうだ。娘さんに頼まれて私が赤ちゃんを抱いて娘さんが写真を撮ることになる。落とさないか泣いてしまうのかと心配になる。この子は人見知りしないから大丈夫だと言われてしまう。石みたいに重くガッチリした赤ちゃんだ。龍冠さんには5人の孫がいる中で一番お祖父さんに似ているそうで、よく見ると、なるほどと思う。写真ができたらお父さんに見せてねと頼まれる。雨がポツポツときたので急ぎ熊本に向かうことにする。途中でカッパを着て、これで雨が強くなっても安心だ。本渡市から直ぐに瀬戸大橋に出る、両側がループ橋になっている、全国でも珍しい所だ。左に海を眺めながらロザリオラインを走り有明海に入る。海の直売所が両側に並び、海の幸が味あえる店が続き良い匂い漂う、サザエでも焼いているのかな?。324号線を途中から松島道路に入り、天草五橋の松島橋ー中野橋ー大矢野橋を渡って行く天草パールラインはとても美しく海に小島がポッカリと浮かぶ姿は仙台の松島と並ぶ素晴らしい所で海はコバルトブルーに輝き何処までも澄んでいる。もし天気が晴天だったらどんなに綺麗だろうと思う。右側に天草四郎公園の天草四郎メモリアルホールが見える、寄ってみたいが今日は鹿児島まで行きたいのでそのまま通過する。しばらく走っていると左側に天草四郎の銅像が見える、音楽が鳴り響き活気がある場所に出る、ここで小休止することのする。お店屋さんが並び歴史を見せる所でなく、観光を目的とした何処にでもある利益追求を求める施設だ。写真を写し、直ぐに走り出す。最後の橋、天門橋を渡り天草街道57号線に入る。美しい干潟を眺めながら走り、刺身料理の店が目立つ、何時もの癖でもう少し先で昼にしようと思いながら、遂に店屋がなくなってしまった。腹が減って困ったな~と思ったら、左側にうさぎ食堂の看板が見えた、海の際に建つ店で昼食にする。メニューを見ると刺身料理などなく、あるのは肉定食又は長崎ちゃんぽん。もう少し手前で刺身定食を食べていれば良かったが今更後悔しても後の祭り。九州まで来て長崎ちゃんぽんを食べないとはと思い注文する。スープの白いのが気になり、今まで食べたことがなかった。大きな窓から外を眺めると干潟の海岸に車が沢山停めていて大勢の人で賑わっている。水が引き、遥か彼方まで陸地が続いている。私が中年の店員さんに鎌倉から来た事を説明すると、私も一か月前まで東京に住んでいて、よく鎌倉に出かけたとのこと、懐かしがっていた。見知らぬ土地に来て住みつく、私など生まれ育った土地を離れずに生活している、大したもんだ。見てビックリ、大きな丼ぶりに溢れんばかりのソバ、食べて又ビックリ!旨い旨いこと、野菜がたっぷりで海の幸も鱈腹入っている。私の住んでいる所の倍はあると思う。これは食べきれないと思ったが汁まで飲んでしまった(笑)北海道の富良野から旭川に抜ける途中で食べた豚汁定食を思いだす。どちらもけして忘れることはないだろう。外で写真を写してもらう。しばらく休憩してから熊本に向かう。680円のチャンポンでした、安い!松橋町に入り、ハーレー軍団に出会う。全員が同じスタイルでシーシーバーにキャンプ道具を積み、黒い革ジャンパーと黒い皮ズボン、全てが黒、信号待ちで停まると前のワゴン車から若い女の人が下りてきて急いでカメラのシャッターを押す。ライダーもよほど嬉しかったのか全員で手を上げるパホーマンスを見せる。我々ライダーは車と違い常に見られているのでファッションが大事だと思う。熊本に行くつもりだったが時間的に無理なようなので、松橋ICより九州自動車道に入る。高速に入ってから晴れてみたり曇ったり雨がザーと降ったり忙しい天気になってきた。宮原SAでガソリンを給油して本線に戻る。それにしても快適に走るFXLR87年。後ろからハーレースプリンガー2台が大きな音を出して追い越して行った。宮原SAに停まっていた二台だ、雨が降る中カッパも着ずに140キロ以上でか飛んでいった、事故のないように。山江SAを過ぎた頃、九州道で初めての渋滞。車の脇を擦り抜けていくと四車線から二車線になる所で混んでいた。更にその先がトンネルになるので余計に混んでしまう。加久藤トンネルに入り渋滞の中、擦り抜けもできず排気ガスが充満するトンネルの中,口に手を当てて走る。後で地図で調べたら7キロ位あるトンネルだった。引き返す訳にもいかず、やっとの思いでトンネルを出る。一年分の排気ガスを吸ってしまったようだ。鹿児島自動車道と宮崎自動車道の分岐点、えびのJCTを通過して鹿児島に向かう。途中、鹿児島空港が左側に見えて、飛行機が離陸していった。東九州自動車道の分岐点を過ぎて桜島SAに着く。15時30分だった。サービスエリアの高台から桜島が見える。一度は見たかったかった桜島が直ぐ近くに、鹿児島まで来て良かった。嬉しい気持ちもここまでだった。サービスカンターで宿泊情報を貰いTELするが何処も満室。何回かサービスカンターに行き泊まれそうな所を教えてもらうが何処も満室とのこと。オートバイライダーグループの人達が心配して話しかけてくる。泊まる場所が見つからない事を説明すると直ぐに今日泊まる指宿の近くの温泉宿にTELしてくれたが満室とのこと、ライダーは皆、親切だお礼を言う。グループの方々がお元気でと言いながら旅立って行った。古いBMWR100RSのライダーが私の隣に停める。この人も泊まる宿を決めていないそうだ。私の話を聞き、昨年は何処でも泊まれたそうだ。直ぐに宿泊ホテルにTELするが何処も満員とのこと。今日泊まって明日、日向からフェリーで川崎まで行き自宅の浜松まで帰るそうだ。51件目の中原別荘にTELすると一人部屋のキャンセルがあるとのこと、やれやれ。やっと泊まる場所が決まる、場所を詳しく聞き。サービスカンターに行き泊まる場所が決まったことを報告してお礼を言う。良かったですねと自分の事のように喜んでくれた。BMWのライダーに泊まる所が決まった事を報告する。一人しか泊まれずに済まないと謝ると逆に良かったですねと励まされる。ここでバックに被せてあったカバーが無くなっているのに今、気が付く。鹿児島市内に向かって出発する。桜島SAにいた女性ライダーの速い事、たちまち見えなくなる。そう言えば龍冠さんの自宅に寄って娘さんに静かでいい所ですねと言ったがいざ住むとなると考えてしまう。鎌倉にでてきてる龍冠さんの気持ちが分かるような気がする。そんな事を考えているうちに鹿児島北ICに着く。国道3号線を真っすぐに行く途中、桜島SAにいた女性ライダーと信号で並ぶ、照国神社までの道のりを尋ねると何処までも道なりに行くようにと言われる。3号線がこんなに混むとは驚いた!人通りの多い所に出る。信号機の右を見ると中原別荘のホテルの看板が見えた、急いで右に曲がり中原別荘に着く。17時だった。本日の走行300キロ。ホテルで女性店員さんが重たい私のバックを持ち、仕事ですから大丈夫と言い部屋まで運んでくれた。案内された所は倉庫と同じような扉が、驚いた!周りの部屋はどの部屋の扉もステキでガッカリする。部屋の中に入り又ビックリ!ベッドはパイプベッドで部屋の壁もとてもお世辞でも言えない位お粗末で倉庫か物置のようだ、とても部屋とは思えない!桜島サービスエリアで51件目で宿泊が決まりTELでオートバイなので今日泊まれなかったらどうしようかと思っていたので本当に有難うございますと何回も言ってしまった。やに丁寧だと思ったが、そう言うことか、なんだか腹が立ってきた。昨日に続き夕食は遅かったので出ないそうだ。店員さんが安くって旨い店を紹介してくれた。さつま揚げの旨い店と鹿児島焼酎の店が書いてある地図を貰う。ドアーを叩くノックの音、今度は中居さんが部屋に入ってくる。部屋の説明と大浴場の行き方と朝の食事の事など一通りの話をしてくれたが、なかなか部屋を出ない、チップでも貰いたいのか?倉庫みたいな部屋なのでチップなんかあげられるか!!どうもご苦労さんと言って追い出す。急いで大浴場に行く。大浴場と言っても、かんぽの宿のような大きな風呂ではない。鹿児島の中心に位置するので無理もないが。湯上げバスタオルが部屋にないのでタオルで身体を拭く。周りを見ると皆バスタオルを使っている。部屋がボロならバスタオルもないのか、又腹が立つ。フロントにより説明すると、おかしいですね、置いてあるはずですよ。ないから言っているんだよと声が大きくなってしまった。さすがに、すみませんと言ってバスタオルを差し出してくれた。部屋に戻り、着替えて街に出る。それにしても部屋に金庫もないとは呆れた。まずは西郷さんの銅像を見に行く。途中で携帯が鳴る、元気ですかとかみさんの声。今、鹿児島にいて西郷さんの銅像を見に行く途中だと説明すると直ぐに電話を切ってしまう。相変わらずせっかちだ。歩道を歩いていると渋滞中の車から可愛い子供の声、おじちゃんバイバイと何回も呼んでいる。西郷さんの銅像に行くまでに私と車が何回か並ぶたびにおじちゃんバイバイと話しかけてくる。偉いねと褒めてしまう。おじさんは鎌倉からオートバイで九州まで走ってきたんだよ~と言って、今、九州を旅していると説明すると運転していたお父さんが、え~~~と言って驚いていた。今の世の中なにかと物騒ぎな時代なので見知らぬ人とは話をしてはいけないと教育している時代だ、寂しい限りだ。見知らぬ土地で子供が声をかけてくる、なんだか嬉しくなってきた。こういう子供がいると言うことは日本も捨てたもんじゃないと思う。本当に嬉しかった。西郷さんの銅像は小高い丘の中腹に建っていて、写真を撮っても上手く写らない気がしたが記念なので近くに行った方に記念写真をお願いする。ホテル紹介の佐土原酒店に鹿児島焼酎を買いに行き、お土産にする。鹿児島に来たらさつまあげ、さつまあげと言えば徳永屋。残念だが徳永屋は休みだった。七味小路に行き小料理屋魚市に入る。店の中がハデなネオンで輝き、や~な雰囲気がするがホテルのおすすめなので大丈夫だろう。一番安そうなイカの刺身と味噌汁そしてライス、これなら900円ですみそうだ。注文したが女将さんが少し寂しくないと言い別の物を混ぜましょうと勝手に決めてしまう。中原別荘に泊まり、時間が遅かったので夕飯が出ないので魚市さんを紹介された事を説明する。どちらから来たのですかと言われ、鎌倉からオートバイで旅をして今日、鹿児島に来たと言うと、いいわね~と言い不景気なのに旅行ができるなんて私なんか旅行なんて一生出来ないは。自分は小遣いを貯めて旅をしていることを説明するが、小遣いを貰えるだけいいわねと言われてしまう。それにしてもお粗末な夕食だ!支払いで2257円。ホテルの紹介なのに高すぎる。ホテルに戻りもう一度風呂に入る。部屋に戻りお金をだして泊まるにはあまりにもお粗末だ。早く寝ることにする。ベッドに入り寝ようとしたが隣の部屋で皿を洗う音と人の声、22時を回っても音がする。さすがに腹が立ち隣の部屋を覗くと洗い場で大勢の仲居さんが洗いものをしている。煩くって寝れないだけれどと言ってしまう。すみませんと言いながら23時まで洗いものをしていた。泊まれるところがなかったので泊まれる場所が決まった時は嬉しかったが、いざ泊まってみると腹が立つ。お休み。
 

連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 7月27日(金)20時01分17秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  5月1日 9時30分、吉野ケ里遺跡に向かって走り出す。簡保の宿で貰った地図をガソリンタンクの上の皮バンドの下に挟む。信号で停まるたびに地図を眺めるが裏道を教えてくれたのかやたら細い道が続く。途中、地図を見ようとしたら無くなっていた。小規模な祭りの場所にでる。交通整理の警察官に道を尋ねると北海道と同じで親切な対応で感心してしまう。自分の住んでる県では考えられない!丁字路を右に曲がり信号を左に折れて大きな橋を渡り、後は真っすぐに行くと又大きな丁字路にあたる。左に曲がり吉野ケ里遺跡に着く。途中、吉野ケ里駅が右側に見えた。歴史公園の広いこと、天気が良いせいか汗まみれになり脱げば荷物になるし困ったもんだ。物見櫓が見えてその先は竪穴住居が見える。ぐるっと周る予定だったが暑いのと時間がだいぶかかりそうなので止めにする。一回りするには半日かかりそうだ。九州の旅の目的の一つだが残念。11時30分出発。385号線で長崎自動車道に向かう。直ぐに東背振りICにから長崎自動車道に入る。高速を走っていると東名高速と勘違いするほど自動車が多い。80キロ走り12時30分木場PAに着く。昼飯に長崎ちゃんぽんを食べようかと思ったが何故かザル蕎麦にする。外のテーブルで食べた。え~長崎で日本蕎麦がこんなに美味しいとは驚いた。オートバイの所で休憩していると自動車で来た大勢の方々が話かけてきた。グループは二台の車で福岡から天草諸島に行くそうだ。鎌倉から来たと説明すると凄いね~と褒められる。ついでに年齢まで聞かれる。昭和00年と言うと女性の方が私と同い年なのねと言い又褒められる。気を付けて楽しい旅を続けてくださいと言いながら車から皆で手を振りながら天草に旅立って行った。13時に出発する。長崎が近くなり自然と唄が出てくる。♪あなた一人に かけた恋 愛の言葉を 信じたの~探し探し求めたて~一人 一人さまよえば 行けど切ない 石畳 ああ長崎は~今日も雨だ~た♪今日は気持ちよく歌えたと思ったら雨がポツポツと落ちてきた。雨の歌は歌わないほうがいいようだ。二車線の道路も途中から一車線になりトンネルを抜けて長崎ICに着く。下り坂を下り長崎市内に入ると車の渋滞が激しく路面電車が黄色い左折可の矢印に従って曲がって行く。昔は横浜市もそうだった事を思いだす。長崎の駅前は混雑酷く写真を写そうと思ったが駐車するのも無理のようなので駅前を通過して平和記念像に行く。近くの駐車場に停めて歩いて平和の党に行く。沢山の折り鶴が飾ってある(テレビで見たことが有る)広島に続き長崎も罪のない大勢の一般人が原爆の犠牲になって亡くなってしまった。アメリカと言う国は許せない!と思う心と原爆を落とされるまで頑張った日本の軍部も許せないと感じた。戦争で犠牲になった人々が今の世の中を見たらどう思うか考えてしまう。アイスクリームを販売しているおばさんがお兄さんアイスクリームを買いなよと声をかけてきた、近頃お兄さんと呼ばれた事が無いので嬉しくなる(でもね買いませんでした)文明堂に立ち寄り試食をしてからお土産を買う。駐車場に戻り、島原に行く道を聞き長崎を後にする。岩屋橋交差点を右に曲がり浦上署の前を通り長崎バイバスに入る。終点の多良見町から国道57号線に入り諫早市に出る。島原まで一般道で行くのにはかなりの時間がかかりそうだ。道幅の狭い所を走り更に渋滞が酷く北海道とは大違いだ。追い越し禁止が何処までも続き違反する訳もいかず、たまに信号で脇を擦り抜けるのが背一杯。鉛色の空が更に厚くなりポツポツと雨が落ちてきた。カッパを着ようかと思うと止むし又ポッリポッリと降ってくる。左側に有明海が見えてきた。晴天だったら綺麗に輝いていると思う(普段の行いが悪いのか)高校サッカーの名門、国見高校のある国見町に入る。港町で過疎と言う言葉を使ってはいけないと思うが寂れた感じの静かな場所で、よくこの町から全国制覇を何回もしてプロで活躍する選手を大勢出したとは思えない。右側に国見高校入口の看板が見えた。長崎の国見高校がこういう場所にあるとは驚いた!有明町に入り雨粒が大きくなってきた、早く着きたいし困ったもんだ。やっと島原市に入る。だんだん賑やかになってきた。島原駅前の観光協会で温泉宿の宿泊情報を貰いTELするが何処も断られる。雨が更に酷くなり五件目でやっと九十九ホテル島原に決まる。今日は学生さんが大勢宿泊なので多少騒がしいですがよろしいでしょうかと言われたが泊まれれば結構ですと答える。それと夜の食事は遅かったので出ないそうだ。先程50歳代の人が九十九ホテルは小高い丘の上にあって見晴らしの素晴らしい所だと教えてくれた。走り出して直ぐに九十九ホテルの看板が見えた、左に曲がり坂を上って正面玄関に着く。16時30分だった。本日の走行215キロ。オートバイライダーにもとっても親切な対応なので聞いてみると九州全土のハレーライダーが一年に一回集まるそうだ。その時はガードマンも沢山来て警備にあたるそうだ。直ぐに大浴場に滑り込む。何処で入っても温泉は疲れがとれる。エレベーターで高校生と一緒になる、全員サッカー選手で廊下にも大勢の学生で賑わっている。連休を利用して全国の高校サッカークラブが国見町に毎年集まるそうだ。雨がパラパラ落ちる中、ホテルで借りた傘をさして紹介された小料理屋に行く。10分近く歩いて店に入るが、板前さんが所要で留守のためしばらくお待ちくださいとのこと。女将さんと世間話に話が弾み、オートバイで鎌倉から九州まで自走して今、九州の旅を楽しんでいる事を伝えると女将さんは私も旅をしてみたいな~とため息をつく。学校の歴史で習った島原の乱。今その場所に自分がいる、それだけで身体が震えてくるのが分かる。20分が過ぎた頃やっと板前さんが戻ってくる。刺身定食一丁と元気のいい女将さんの声。味噌汁、天ぷら、お新香、茶わん蒸しが付いて1000円とは安い!刺身が新鮮で美味しいこと。女将さんと板前さんとの九州弁のやり取りは何を言っているのか全く判らない、理解しようと思っても頭がおかしくなりそうだ(もともとおかしいけれど)今日は旨い物を食べられて良かった。明日は雨が止むように祈る。晴れれば朝の日の出が有明海から昇るその美しさは最高らしい。明日良い天気にな~れ。お休み。
 

連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 7月24日(火)20時01分4秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  4月30日 波の音で目が覚める。まだ6時前なのに朝風呂に行くと大勢の人達で夜より賑やかだった。朝食はバイキングなので余計に食べてしまう。貧乏人のせいかもしれない。支払いを済ませて二日目の旅が始まる。玄関前で写真を写す、今日も天気が良さそうだ。8時40分出発。綺麗な海を眺めながら昨日来た道を戻る。温泉街を抜けて連休とは思えない程静かだ。国道に出ても静かだ。右に曲がり赤穂ICから山陽道を九州方面に向かって走り出す。備前、岡山、倉敷を過ぎた頃フロントホークに付けてあるレーダー探知機が外れそうになる。何処かのSAかPAで修理しなければと心配しながら走り続けるうちに遂に外れてしまった。辛うじて配線だけでぶる下がっている。なんとか道口SAにたどり着く。10時5分だった。金具が振動で二つに割れてしまう。ハレーは振動が他の二輪より激しいのでしょうがないか。サービス施設でガムテープを借りて応急処置をする。かなりのぐるぐる巻きにする。見た目は悪いが長旅なのでしょうがないか。それにしても疲れる、歳のせいか?ガムテープを返しながらアリナミンドリンクを飲む(栄養剤を飲めば元気が出ると思っている)オートバイの所にに戻ると年配のライダーが荷物を積みなおしている。九州の福岡の実家に行くそうだ。横浜ナンバーなので、どちらからと尋ねると横須賀からと言い、このライダーは昨年までは18時間かけて九州福岡の実家に行ってたそうだ。今年は神戸に一泊したそうだ。家族からオートバイで実家まで行くのはもうそろそろ止めるように言われているそうだ。自分のスタイル及び生き方は変えることは出来ないそうだ。私もそう思う。若いですね~と聞くと昭和00年生まれだそうだ、私は00年生まれだと言うと、いきなり手を伸ばしてきた、ガッチリ握手をする。鎌倉から九州を周る旅と説明すると鎌倉と横須賀は隣みたいなもんだと言いながらお互い笑顔になる。私が柳川のかんぽの宿に泊まる予定と言うと実家の近くとのこと。一緒に行きませんかと誘われたが二台で走るとお互い心経を使うのでお断りする。先に横須賀のライダーが又何処かでお会いしましょうと言って先に行ってしまった。その後このライダーとは一度も会う事はなかった。道口SAにレーダー探知機の修理に寄らなけらばこのライダーとはお会いしなかっただろう。出会いとは面白いものだ。不思議なものでこの人から元気を貰い急に身体の調子が良くなり、その後一度も疲れる事はなかった。10時15分出発。かなり速度を上げたが横須賀のライダーには追い付事はなかった。ガムテープをぐるぐる巻きにしてもレーダーは機能していた。まだ昼には早いので福山SAを寄らずに通過。瀬戸内ラーメンを食べたかった。道路標識に広島の文字、広島ICで下りて、原爆で多くの人が犠牲になった町、広島を見て原爆ドームを尋ねたかったが今回は南の大地九州に行くのが目的なので又機会があったら行って見たいと思う。宮島SAに11時40分着。横須賀のライダーがここで昼食にすると思ったが残念。スズキ刀に乗る若いライダーに会う。岡山県の出身で山口県に行くそうだ。この方は茨城県で働いていたことがあるそうだ。やたらと背が高く25歳とのこと、茨城から山口県まで10時間で走った事があると自慢していた。あまり信用できない話だと思うが本人が言うのだからいいだろう。昼のラーメンを食べているとすぐ隣にラーメンを持って座ってくる。やたら話好きな子で食事が終わっても後ろからついてくるので日本三景、安芸の宮島が眺められる展望台に行くことにする。公園には学校の子供が大勢来ている。遥か彼方に赤い鳥居が見える。時間があれば行って見たい場所だ。駐車場に戻り記念に写真を写す。近くにいたカワサキZRXのライダーに会う。若くっていいねと言うと喜んでいた。良い事をした。福山ナンバーのこの方は50歳から二輪に乗り始めたらしい。年齢は関係なく、趣味はやろうと思った時がチャンスだと思う。けして遅い事はないよと説明すると少年のような笑顔になった。このライダーとも写真を写す。12時40分カワサキZRXのライダーに続き風になる。このライダーも直ぐに見えなくなる!そう言えばスズキ刀の若いライダーが言っていた、山陽道と中国道が一緒になる所から道路に凸凹があるので注意したほうがいいと言っていた事を思い出す。それと覆面パトカーが多いと言っていた。佐波川SA13時30分着。やたらトンネルが多かった。休憩していると石川県から来た二人のライダーがやってくる。門司に行くそうだ。一人の方は昭和21年生まれと相方は24年生まれ、二人ともとても元気だ!一緒に走ろうと言われたがガソリンを経由するので先に行ってくれと言うとエンジンに火が入り二台のオートバイは行ってしまった。ローライダーにガスを入れて下関まで80キロを行く。何処から出てきたか分からないが途中のSAから石川県から来たライダーが出てくる。一緒になり下関まで走ることになる。120~140キロで走る(歳より若い走りだ)次から次と追い越して行く、元気が出てくるようだ。壇ノ浦PAに寄るようだ、一緒に行って話がしたいが時間が時間なのでここで別れる。大きく手を振る。壇ノ浦PAで宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島が見たかった。関門海峡が見えた、視界が一気に広がり壇ノ浦が見えてきた。今から800年以上前に平家と源氏が戦った場所の上を通り関門海峡を今、通過!思わず天高くガッツポーズがでる。大きな声でやったぜ~周りの車がビックリしていた。短い距離の橋だが本州と九州を結ぶ重要な橋だ。大きなタンカや船が下に見える。北海道には4回も行っているが橋で結ばれていないので陸を走って行かれる九州は何とも言えない気分になる。何処かのSAで会ったライダーが関門海峡を渡るとき誰でもガッツポーズがでると言っていたが、その時はまさかと思ったがその通りになる。もしかしたら九州の旅はここで終わったのかもしれない位、感動してしまった。14時57分、吉志PAに着く。ここで甘い甘いココアを飲む、格別旨かった。九州に上陸して最初のPA。ここまで四個のトンネルを通過してきた。関門海峡を渡り直ぐにトンネルに入る。明るい所から暗い所に入る、要注意の場所だと思う。15時10分本線に戻る。車の台数が増えてきた。それにしてもすべるように走るFXLR87年、17年前とは思えない。もっとも自分も19??年生まれの古い人間だ。そんな事を考えながら15時47分古賀SAに着く。地元ナンバーのハレーが首を振って二台並んでいる隣に停める。トイレに行きただのお茶を飲み、ここから今日泊まる簡保の宿柳川にTELする。一人でもOKとのこと、吉野ケ里遺跡に近いので良かった。16時、八女ICまで63キロに向かって走り出す。お茶を飲みすぎたのか予定にないPAに急遽寄る事になる。基山PA16時25分着、トイレに急ぐ。洗面台の周りに生け花が沢山飾ってある。今まで沢山旅をしてSAやPAに立ち寄った事があるが花がトイレに美しく飾ってある所は初めてだ。旅の疲れが飛んで行くようだ。駐車場の周りも綺麗な花が植えてある。トイレのため寄ったおかげで気分がリフレシュできた。心のこもった演出だと思う。花の栽培の盛んな土地なのかな。日本全国のSAでも色々な演出をして旅人を楽しませてもらいたいもんだ。16時30分、三車線の九州道に戻る、僅か5分間の休憩だったがトイレに寄って良かった。八女ICに向かう途中、三車線の真ん中を走行中に道路に落ちていた透明のビニール袋を前輪で引き、それが舞い上がりステップに絡まりつく。いくらブーツで蹴っても取れず困ったな~と思ったら、そうだ爪先を後ろに向ければと思いブーツを後ろに向けると勢いよく飛んで行った。ラッキー。八女ICで下りて一般道に入る。赤穂IC~八女ICまで8900円だった。道幅の狭い道路を走り、何処までも追い越し禁止で擦り抜けもできないし信号で脇を擦り抜ける事30回位、ほんとうに嫌になった。渋滞が続く道を地元の方は制限速度40キロを正確に守って運転している。立派な事だが急いでいる時はイライラする。途中、犬塚で鉄路をまたぐループ橋があり気持ちよくコナーリングに入る。車体を寝かしすぎてサイドスタンドがガリガリと激しい音をだす。まるで悲鳴を上げてるようだった。17時30分やっとかんぽの宿柳川に着く。赤穂から563キロだった。簡単な宿泊手続きを済ませて部屋に行く。赤穂のかんぽの宿と違い狭い室内で気持ちまで小さくなりそうだ。食事の前に急いでお風呂に行く。今まで泊まったかんぽの宿の風呂はどこでも大きく立派だった。柳川の風呂も広々して素晴らしかった。食事も価格によって違いがあるが周りの人と比べても変らなかった。部屋に戻り今回の旅の目的の一つでもある鎌倉の工務店に勤める方が九州に行ったら自分が建てた自宅を眺めてくれと言われてたので行くことに決める。住所がイマイチ分からず同じ工務店に勤める柴君の携帯にTELするがなんどTELしても話中で(柴君は一度行ったことが有る)諦めた時、携帯が鳴る。柴君からで随分長い話中だったねと尋ねると携帯の電話帳に登録していない番号のTELには出ないそうだ(登録されていないと言うことは?)何日か前に一緒になった時にもしかして九州に行くかもしれないと言っておいたが、九州の柳川に泊まっている事を説明すると驚いていた。柴君には2000年の北海道の旅のただの親父の一人旅の日記を妹さんに本にしていただいた(製本屋さんにお勤め)住所は本渡市馬場で番地は分からないとのこと。ま~行くだけ行って見るか。明日は島原の乱で有名な島原に泊まる予定。ベッドに入り早く寝ようと思ってもなかなか眠れない。やっと寝たと思ったら午前三時に携帯が鳴る、驚いてTELにでると直ぐに切れてしまった。訳の分からない番号で間違いなのか悪戯なのかその後は寝れなくなり、身体の調子が良くなったと思ったら又元に戻ってしまった。しかたがなく朝風呂に行くことにする。風呂に入ったせいか又身体の調子が良くなってきた(笑)何故かバイキングだと余計に食べたくなる。実際余計に食べてしまう(笑)お腹一杯になり予定より一時間遅く宿を出る。オートバイの所に行く途中、人相が悪そうな犬(犬の場合い犬相と言うのか?)狼みたいな犬が(狼を見た事はないが)しかも首輪も付けていない汚れた犬がウオーと唸りながら近づいて来た。急ぎ足になると犬も速足になり何とかオートバイの所にたどり着くと急いで荷物を降ろしてオートバイに鍵を差しこもうとするが、何時もだったら中々差し込めないのに一度で入ってしまう。急いで鍵を回してエンジンに火が入る。ボボボンボボボンと凄い音でエンジンがかかる。直ぐ近くまで来ていた犬が一瞬腰を抜かしたみたいになり次の瞬間、全速力で走り去って行った(笑)その時の犬の顔は本当に恐ろしい顔していた犬とは思えない程、間抜けな顔をしていた。朝から腹が痛くなるほど大笑いしてしまった。
5月1日 
 

連載2004年

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 7月22日(日)10時19分28秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  ただの親父の一人旅(初めての九州)
前書き
毎年、夏には北の大地、北海道に行ってますが何時か南の大地九州に行ってみたいと思っていました。やっと現実になり今、心も身体も熱く燃えはじめています。行ってきま~~~す。


2004年4月29日 前日に荷物の整理をしてからFXLR(ローライダー)に荷物を積み夕食を食べようかと思ったが頭が痛くなり、胃の調子まで悪くなり更に起きているのが辛くなって御飯を食べずに急いで風呂に入る。やっとの思いで風呂を出て布団に滑り込む。その間かみさんに文句を言われぱなしで御飯も食べられない人が九州なんか行けないわよと何度も怒られる(馬の耳に念仏)19時30分にはグッスリ眠りにつく。ハット眼が覚めると22時30分。良く寝たな~と思ったがたったの三時間。その割には身体の調子がいい。今度は眠れなくなってきた。起きているのか寝ているのか分からないうちに5時になる。急いで仕度をして電子レンジで焼きおにぎりを温める。ついでにバナナも食べる。これでスタミナが付いたみたいだ!夏とは違いかなり冷えている。冬用の防水ズボンを履き上は皮ジャンパーを着て更にカッパも着て自宅から出発する。空を見上げるとかなり明るくなってきた、今日は最高の日になりそうだ。何時ものように表ての道路まで押して行きエンジンに火が入る。ドコドコクシューS&Sのキャブレターから吹き返しの白い煙が出る。再度チョークを引きボボンボボンとエンジンに火が入る。急いでチョークを戻す。アクセルでアイドリングをしながらゆっくりと走り出す。5時48分、長い旅が始まる。何時ものように私のパートナー、ローライダーカスタム1987年式に宜しくお願いしますと話かける。朝比奈峠を通過して鎌倉霊園に眠る母、兄、そして昨年9月に他界した父に、これから南の大地九州に行くので宜しくお願いしますと呟きながら通過する。横浜横須賀道路に入る。そういえば玄関の鍵を開けチエンロックを外すとき捻じれてなかなか外れなかった事を思いだす。何故か足止めされたみたいで心持心配になる。寒いため速度を上げずに80キロ位で走る。身体の寒さはないが手が冷えて困った。顔もマスクをしているので寒くはないが冬用の手袋持ってくればよかった。料金所のおじさんが(自分もおじさん)おはようございますと言い、後ろの荷物を眺めて何処まで行くのと話かけてきた。九州までと言うとビックリしていた。自分でも凄い事だとだと思う。気を付けて行ってください言われ朝から気分がいい。横横道路は日本一料金が高いと言う話を聞いた事があるが今ではとても便利な道路で何処へ行くにも通る道路だ。そんな事を考えながら走っていると東名高速横浜料金所に着いてしまう。高速カードを取りハンドルの上の皮バッグにしまい、今日は何処まで行けるか楽しみだ。右にウインカーをだし本線に合流する。三車線の左側を走り制限速度を守り100キロで風を切る。時折追い越し車線をBMW,ドカ、国産オートバイが唸って行く、制限速度を守ろう。海老名SAを停まらずに通過する。だいぶ寒さにも慣れて、この辺から制限速度が怪しくなってきた。前方の車に追いつくとやたらと追い越したくなる。この気持ちを抑えるのは難しい。時折追い越し車線に入るようになる。厚木ICを過ぎた頃、前方にハレーのスポーツスターが見える。追い越しながら横目でチラリと見るがライダーは前方を見たままなので挨拶をせずに走りさる。その後このライダーとは何回も会う事になり、西宮名塩SAで写真を写すことになるとはこの時は思わなかった。足柄SAも通り越し渋滞もなく快適に走る。富士川SAで最初の休憩をする。7時45分着。ここで550円のユンケルを飲み喉飴を買う。栄養剤を飲むのは間違えなく親父だと思う。ここで会った30歳位のライダーは山口県まで行くそうだ。一緒に行きませんかと誘われたが自分のペースで行きたいのでお断りする。その後一度も会う事はなかった。8時に本線に戻る。相変わらずスムーズに走るFXLR87年とても元気だ。もしかしたら私より数倍タフだ。東名高速でもっとも好きな場所、由比海岸のそばを走るこのコースは何時走っても気分が壮快になる。山間部から下ってきていきなり海が見え視界が広がる、この気分は最高だ。40分も走らないうちにトイレに行きたくなる。ただのお茶を飲みすぎたのか牧之原SAでトイレに急ぐ。8時45分着。少しづつライダーが増えてきた。9時10分出発。途中、厚木の先で出会ったスポーツスターを再び追い越す。今度は手を上げると挨拶してきた。今日は連休の初日なのに車の流れがとてもスムーズだ、この分で行くともしかして渋滞が起きないかもしれない。そんな甘い気分になるほど空いている。ラッキー。牧之原SAを出てから30分、浜名湖SAに着く。だいぶ気温が上がってきたのでカッパを脱ぎ下の冬用のズボンもここまででお役御免となる。サイドバックにしまい皮ジャンパーと皮のカーボイズボンに着替え何時ものスタイルに戻る。家から267キロ地点、まだ九州まで4分の1!三ケ日の先で通行券を見せる。昔はなかった!豊川を過ぎた頃から初めての渋滞に巻き込まれる、イライラせずに平常心を保ち車の脇をスムーズにすり抜ける。これが長い旅の心得だと思う。岡崎を過ぎた頃、渋滞もなくなりやれやれ。2000年に京都に行った時、休憩した上郷SAに停まらずに通過する。小牧JCTも通過して遂に名神高速に入る。それにしても国産の大型オートバイの速いこと!制限速度の1.5倍以上の速度で唸っている。養老SAに11時35分着。少し早いが昼飯にする(405キロ)天ぷら蕎麦を食べていると前に座っている子供が怖がる。サングラスがいけないようだ、それに引き換え隣のお婆さん達は気楽に話しかけてくる、不思議だ。オートバイのところで休憩していると厚木の先で会ったスポーツスターのライダーと会う。少し話をして別れる。意外と若いライダーだった。ガソリンを給油してから本線に戻り,風になる。12時50分だった。何故か75分も休んでしまった。今から400年前に天下分け目の戦いがあった関ケ原を通過。車の流れもいいしFXLRも滑るように走り鼻歌が出る。♪京都にいるときゃ忍と呼ばれたの~神戸じゃ渚と名乗ったの~横浜の酒場に戻ったその日から~あなたが探してくれるの待は~昔の名前で出ていいます~~♪と唄っているうちに100キロを走り京都に来てしまった(笑)驚いた!良く人に聞かれることだが高速を走行している時、何を考えて走っているのかと聞かれるが、走行中は今日の昼は何を食べようか夜は何が出るかな~とか温泉に入りたいなど無心で走る事などまずない。ライダーは誰でも同じだと思う。走行中は前方を70%、バックミラーで後方確認を30%の割合で走る事が多い。中高年だからかもしれない。吹田JCTから中国自動車道に入る。ここまでは疲れもでないしスムーズにこれた。オートバイも少なくなり今まで走っていたライダーは何処へ行ったのかと思ってしまう。吹田JCTから数10キロ過ぎた頃から三車線の中国道の脇を国道が並ぶ、しかも同じ高さ(平地)首都高速とか色々な高速を走ったが今回は初めての経験だ、何故かしっくりこない。西宮名塩SA14時40分着。156キロ走った。ここでただのお茶を飲み自動販売機で一万円のハイウエーカードを2枚買う。5万円カードが廃止になってからは遠くに行くにはカードを余計に買わなくてはいけないので不便になった。ETCを普及させたいので廃止にしたらしいが我々ライダー料金所の支払いに時間がかかるので現金ではなく高額のカード復活をお願いしたいもんだ。ついでに四輪車と比べると二つの輪で走る二輪車、しかも今の時点で一人しか乗れないハンデを持つオートバイの料金が高すぎると思う。オートバイの所に戻ると直ぐそばに厚木の先で会ったスポーツスターに乗るライダーと再び出会う。あ~と言って話かけると相手も驚いていた。この若いライダーは(30歳位)四国に行くそうだ。今日は予定より早く来たので淡路島まで行きキャンプ場で一泊するそうだ。地図を眺めながら難しい顔をしている。途中の三木JCTで四国方面に曲がる所を間違えないか心配らしい。標識があるからと言ってもやっぱり心配らしい。もうお会いすることはないだろうから記念に写真を写すことにする。後で送るからと言うと綺麗な字で住所を書いてくれた(顔に似合わず)14時55分に出発。そう言えば神戸大地震の時、高速道路が落ちたり横倒しになったり、今は傷跡もなくその近辺を走行してきたと思うと何とも複雑な気持ちになる。80キロ位走り龍野西SA着。15時48分だった。今日泊まる所は岡山か倉敷あたりと決めていたので一人でも泊まれる民宿の本から選んでTELするが何処も満員とのこと。しかたなくインフォメーションカンターに行き宿泊情報を尋ねる。忠臣蔵で全国に名を轟かせた赤穂温泉のホテルガイドを貰う。最初に目に留まったかんぽの宿赤穂にTELするとOKとのこと。時間的にはまだ余裕があったが泊まる所がないのでしょうがない。16時10分に出て直ぐに赤穂ICに着く。横浜から東名ー名神ー中国道ー山陽道を走り金額は10050円だった。左に曲がり国道に出る。真っすぐな道を走り左側に赤穂城跡、歴史博物館の看板が見える。行って見たいが今回は九州に行くのが目的なのでそのまま通過する。途中で車の方に道を聞き赤穂温泉方面に曲がる。狭い海岸の道を走り更に家の庭みたいの所を通り石畳の道路を上がって行くと海が一望する所でかんぽの宿赤穂に着く。16時35分。自宅から672キロだった。屋根が付いている場所にオートバイを置けるので良かった。建物の外観は丸みのある素敵な建物だ。二重扉を開けロビーに入る。簡単な手続きを済ませて5階の部屋に入る。部屋の中が小綺麗なので嬉しくなる。自分の住まいより良い所に泊まりたいのはお金を払うのだから当たり前だと思う。ただ、かんぽの宿は金額により食事の内容が違うのが気になる。お茶を飲みながら地元のお菓子を食べながら窓から眺めると高台から見る海は家島諸島が瀬戸内海にぽっかりと浮かんでいる、素晴らしい!景色の良い場所に泊まれて良かった。少し休んでから風呂に行く。大きな風呂で嬉しくなる。今日の疲れが消えていくようだ。やはり温泉はいいね。夕食に行き周りの人の食事の内容が気になるが、かなりの品数の料理がでた。特に刺身は格別美味かった。旅の一日目なのにお土産にかかとクリームを買う。部屋に戻り窓から外を眺めると夜の景色も美しく素晴らしい。野球を見ているうちに眠くなる、お休み。
 

収穫

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 7月 8日(日)19時55分59秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  ナス、ピーマン、パセリを収穫しました。嬉しいやら悲しいやらの気分です?ハサミで切り落とす時可哀そうな気がしましたよ、観賞用で良かったのではと自問自答。
 

野菜

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 7月 1日(日)16時50分36秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  五月の半ば過ぎに植えたパセリ、ナス、ピーマンがやっと出てきたよ(^^♪パセリは二度収穫しました。葉の裏を中心に虫だかなんだか分からないがガムテープを指に巻いて朝晩水やりの時に一枚づつ丁寧にとっています。初めてなので根本の葉っぱを切ってしまいダメかと思ったが何とか顔が出てきた(笑)
 

車検が出来ました(^^♪

 投稿者:ツー  投稿日:2018年 6月 2日(土)22時02分48秒 kcc-122-255-227-72.kamakuranet.ne.jp
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  バイク店を10時30分に出て、横横で馬堀海岸→観音崎経由で久里浜→三崎港のはまゆう店で久しぶりのマグロ丼食べたよ(^^)/土曜の昼時なのに店内はガラガラ!1,440円が1290円に値下がり!競争が激しいのかな~残念なことに,一切れのマグロが箸から滑って床に落ちた(T_T)150円損失かな(人間がセコイネ)それにしても人通りが少ないね!帰り、長者ガ碕手前で車がパッシング、案の定、長者ガ碕駐車場で白バイ、パトカー、大勢のポリスマンが旗で停止。駐車場には二輪が鈴なり!違反もしてないのに停められるとは?駐車場に入ってアンケートを書いてくれだって→バイクがデカいのでと断ったよ(笑)それじゃ~旗だけ持っててだて、貰ったよ(^^♪海のスタンドで満タンにして2時に帰宅86キロ。何故か二の腕が疲れた、年齢のせいとたまに走るので余分なところに力が入っているようだ。ソフトで人当りが良い 森口メカニック  

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